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デザフェス準備中にお世話になったドキュメンタリー

こんにちは。

 

久方ぶりに雑談のブログです。

 

今日の話題は私がデザフェス準備中に何度も何度も繰り返し見たドキュメンタリー番組

 

「サイン・シャネル カール・ラガーフェルドのアトリエ」について。

 

そう。あの「シャネル」のデザイナーであるカール・ラガーフェルドとコレクション準備中のシャネルの工房・取引先の職人について迫ったドキュメンタリー。

 

シャネルのコレクションがどのようにして作られ、何人もの職人やお針子、ショーに関わるスタッフがどんな仕事をしているか。

 

その裏側を映した映像はものづくりをする人…服やアクセサリーに限らずとも、何か大きな目標に向かって突き進む人にとって共感できるところが多く、見ていて損はない面白い映像でした。

 

イベント前はぎりぎりまでデザインを絞り込めなくて

 

散らばったアイディアに翻弄されまくって神経をすり減らし

 

残されたわずかな時間で作品を制作→同時進行でイベントを組みたてていく。

 

この一連の作業はあれほどの巨大ブランドであっても、自分が普段していることと大きな差異はないことを知って驚きました。

 

地道な作業をコツコツコツコツ。少しずつパーツを積み上げて形を作る。

 

たくさんの人の手が入り、技術・アイディアを駆使してより良いものを目指す。

 

カールラガーフェルドのアイディアを汲み取って、具現化する。

 

ひたすら「作る」という行為の連続。

 

特に感銘を受けたのがガロン職人のマダムプージューの言葉。

 

ガロンというのはシャネルスーツによくみられる「縁飾り」のこと。

 

シャネルはガロンを外注するのが習わしなのだそう。

 

マダム・プージューはマダム・ココ・シャネルが生前の頃からその腕を認められてシャネルの作品に携わってきた人。

シャネルの仕事をずっとしてきた人…なんて思うと、ものすごくおしゃれで洗練された女性を想像するけれど、マダムプージューは飾らない素のままの人。

 

でも、ものの道理をよく理解し、自分にとって何が大事かブレのない女性。

 

シャネルの仕事よりも自分の家の畑や牧場、馬の世話の方が優先。

 

でもひとたび仕事にとりかかるとこれまたブレのない最良の作品を作り上げる。

 

コレクション前は平均睡眠時間2時間ほどの生活を15日間ほど続けてガロンを作りあげる。

 

インタビュアーの「疲れていないか?」という質問に「疲れない」とマダム。

 

 

「秘訣は?」という質問へのマダムの答えが

これ。

 

限界は自分の思い込み次第。

 

自分がやれると思えばどこまでだってやれる。

 

逆に限界を決めてしまえばそこまでしかやれない。

 

マダム・プージューは生前のシャネルを知る(実際に一緒に仕事をしていた)世代。

 

お兄さんと作ったという独自の織り機でガロン=縁飾り を作る。

 

ガロンを自社でも作れるようにとシャネルから研修生を何人か送り込んだそうだけど、結局誰一人として彼女のガロン作りの手法を習得できた人はいなかったそう。

 

唯一無二の存在。

 

だけど、マダム・プージューは言う。

 

「おそらく5年後か10年後か50年後に、新しい技を発見する人が出てくるに違いない」

 

「不可欠の人間なんていない。」

 

 

自嘲っぽくも聞こえるがそれが真理なのだとも思う。

 

連綿と続く時の流れの中で技術は更新されていく。

 

不可欠の人間はいないのかもしれない。が、彼女の名前と技術は歴史の中に残るだろう。

 

作品は他の誰かのそれと競うようなものではないのだけれど、でも他と差をつけるとするのであれば

 

感受性と表現力(技術)

 

この二つだと思う。

 

インプットとアウトプット

 

その2つの間にあるのは自分の中で起こる化学変化。

 

そのスパイス的な僅かな要素によって他者との差が生じるのだと思う。

自分の仕事のことを書くと、普段から頭の中でイメージして組み立てた作品を実際に材料を使って「仮組み」する際に

 

これまでの経験を頼りに、どんな型紙にしてどんな道具を使えばいいか、どの程度熱を加え、どう力を加えればいいか

 

実際にやってみて調整を重ねていく。

 

絶対と言っていいほど想像上のものを実際に形づくった時に一発でうまくいくなんてことはない。

 

型紙の修正は何度も繰り返す必要があるし、選んだ材料の変更なんてしょっちゅう。

 

いくつもの材料を廃棄してパーツを作り、パーツができあがると今度は1つのまとまりとして組み立ててみる。

 

しかし、組み立ててみて、全体のおさまりが悪ければパーツから作り直し

 

もし作ったもの(デザイン)がこれ以上改良を加えても自分が定めた基準に届かないとなったときは作品自体をお蔵入りさせることもしばしば。

 

でもお蔵になったからとて、それに費やした時間は決して無駄ではない。

 

自分の中の判断基準の精度が高まる上に、「今は」その作品を思うような形に作れなかったとしても、数年後の自分

 

より良い技術を身に着けた自分だったら、理想とする形に仕上げることができるかもしれない。

 

なので自分が過ごしてきた時間、費やしてきた時間、想像力全てが私の財産であり

 

今後の自分自身を導いてくれる、道標みたいなもの。

 

この一瞬一瞬の選択が未来を作るのは言うまでもない。

 

今の下手くそな作品が、数年後

 

お客様が目を輝かせて買い求める作品に化ける日がきっとくる。

 

2012年の私はそんなふうには思っていなかったけれど、あれから6年経って今

 

現実にそれを体現している。

 

私の作品は一から手作業でプラバンへの図案のトレースから図案のカット、着色、焼きの作業と全部手作業で行う。

 

お客様からよく「そんなところから全部手でやっているのですか?」「(プラバンカットは)型抜きみたいなのではできないのですか?」「こんなに手が込んでいるのに値段が安すぎではないですか?」なんてことを言われるのですが

 

確かに型抜きを使ったり、手で染めず印刷用のプラバンにデータを写せば大量に一定の基準をクリアしたものを作ることは可能でしょう。

 

ただ、それでは手が育たない。

 

「線を引く」「形を切る」「指で曲げる」手で行う作業を普段から行っていないと、新しい作品を生み出す時にその仕上がりは悪くはないんだけど良くもない、何とも評価のし難い微妙な代物にしかならないことが多い。

 

自分のイメージを形にする時に、この基本動作の精度が低いと完成品はあまりいいものにはならないのではないか。と思うのです。

 

ピアノを弾くときに最初のうちはバイエルで指が滑らかに動くような練習をひたすらするでしょう。

 

指がきちんと動かなければどんなに素晴らしい曲であってもよい演奏はできません。

 

アクセサリー作りも全く同じ。

 

私の作品はトレースからカット、着色、焼き上げ、組み立て、どの作業1つとして精度を落としてしまうと私の作品としては成り立たない。

(何せ素材がプラバンだからね)

 

 

シャネルの話に戻すと、コレクション直前のスタッフの追い詰められ加減はほんとにデザフェス間際の自分とかぶって

 

この動画を見ながら作業をすることで孤独を感じずにすみました。

 

作品の仕上がりが思うようにいかなくて死にたくなる気持ちとか

 

ショーの数日前から徹夜で過ごし、わずかな休憩時間に簡単に食べれるものを食しすぐに作業に戻ったり

 

ショーまでの時間を逆算して今ここ(工房)じゃなきゃできないことと、会場でもできる作業を見極めて無駄なく時間を使おうとするところ

 

そこまで自分を追い詰めて追い詰めて作り上げた作品はどこへだって胸を張って出せるし

 

私の作品を待っていてくださる誰かを喜ばせることができる。

 

私のことを全く知らなかった人の心を一瞬で掴むことができる。

 

そうだな。「瞬殺の作品」を作ることが私の今のテーマかもしれません。

 

そういった作品は自分の技術の鍛錬ももちろん必要ですが、何かを見て感動する心…感性の豊かさもないと作ることができない。

 

だから、マダム・プージューのように日々の何気ない生活を大事にして、物事の細部に心を配れる余裕を持っていたいとも思います。

 

いろいろと長く書きましたが、「サイン・シャネル」はきっとモノづくりをする人にとっては何か大切なものを得られる素敵な動画であることは間違いないってことをお伝えしたいです。

 

今日もより良い作品を心を砕いて作れるように。

 

ANNIKA